方向性を意識しておくこと。
少し不思議な出来事がありました。
以前、名古屋の個人サロンで、月1回施術をさせていただいてたのですが、そのサロンさんは駅から少し離れているので、タクシーを利用させていただいてました。
そのタクシーの運転手さんが毎度、迷ってしまいなかなかたどり着かないのです(笑)。最初の2回ほどはそういった状態でしたが、私も場所がどこか大体把握できるようになってくると、最短距離で連れて行ってくれるタクシーが捕まるようになってきました(笑)
何でもいいから連れて行って欲しいという状態だと、道中苦労しますが、ゴール、目的地がハッキリしていると、そこまでスムーズに事が運んでいくということを教えられたような気がしました😊
ゴールや、自分は今どこに向かっているのかというのを意識しておくことは大事なのだと感じさせられた体験でした。
生きる意味とは
どうせ死んじゃうのに、なんで生きるのかな?どう生きていくのが正解なのかな?と誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
私も、いつかは消えていく肉体を鍼灸で調整していくことに何か意味があるのだろうか、とふと思ったことがありました。その疑問に対する自分なりの答えが、ハッキリしてきました。
人は自分の心(魂)を磨くために生まれてきたのだと。肉体も時間もないと、なかなか心を磨くのは難しいので、肉体が与えられ、時間や人生が与えられたのだと。
肉体を調整することで、心の曇りや陰りが抜けるということがよくあります。恨みや嫉妬や苦しみ悲しみで、心の眼が曇って、先が見えなくなってしまうことがあります。でも、肉体を調整すると、心の澱がスルスルっと取れて、事実をありまま受け入れることができるようになります。
人は意識の大掃除をするために生まれてきたのではないかと思います。夢を叶える為でも、自分のエゴを満足させるためでもなく、むしろ夢を破り、心を透明にして、真実をありのまま受け入れるために生まれてきたのだと思います。
そして、意識の大掃除のお手伝いができる鍼灸師でいたいなぁと思うのでした😊
自分でやろうとしないことの大切さ
昨日は、とても治療院が忙しくバタバタとしていました。
そんな中、自分の思うように治療ができていない気がしていて、
それが引っかかってとても疲れてしまいました。
でもよくよく考えたら、来てくれた患者さんは次の予約もしていってくれたり、
鍼してから傷の治るスピードが上がって感動していると、後でメールをくれたり
患者さんは喜んでくれていたのです。
患者さんの治癒を必要以上にこちらでコントロールしようとしすぎていたのだなと
今日になって反省しました。
ついつい自分の思い通りにしようとエゴが働いてしまいますが、
やろうとしすぎないことがとても大切なんだと思いました。
それよりも、患者さんの生命力や自分を動かしてくれている大いなるものを信頼して、
そっとそれに身をゆだねるくらいの方が良い結果に繋がるように感じました。
人間関係や何かで行き詰った時に、自分の思い通りにしようとしすぎてないか
振り返るのもいいかもしれませんね☺
そういったエゴを手放し、他者や自然の力を信頼することで抜け道が見えてくることもあるかもしれません。
ガンにならない生き方。
最近、読んで面白かった本のご紹介です😊
Amazon - 50歳を超えてもガンにならない生き方 (講談社+α新書) | 土橋 重隆 |本 | 通販
土橋先生は外科医で、医学博士です。
ガンの手術も数多く手がけられたようです。
その先生が、おっしゃるには、ガンと心は深い関りがあるとのことです。ガンになる人は強いストレス状態にある生活を手放せずにいたり、病気への強い恐怖心があったり、心やそれまでの生き方に必ず何か原因があるそうです。
そして、その生き方を変えることで、ガンが消えた。もしくは余命宣告よりはるか長い時間生きることができた。そういった症例をいくつも見てきたそうです。
ガンが消えた人の共通点は、ガンを治そう、闘病しようとするのをあきらめた人たちだ、ということです。
ガンを治そうというのは、ガンを悪者として認識し、それを排除しようとする意識ですから、そういう人は治りにくい。
そうではなく、もうなってしまったものはしょうがないから、一日一日を悔いなく過ごそうと今までの生き方を変えられた人たちは、治っていくそうです。
そして「病気を治す主体は、あなた自身にある。あなたが考え、あなたが選択し、あなたが体験する。その主体性が病気を治すカギになるのです。」とも書かれています。
以前の記事、「同治と対治」でも書かせていただきましたが、自分の一部をあたかも、他者であるように切り取り批判して、排除しようとすることは根本的な問題解決にはならないように思います。
自分は被害者だと、悪を外部に作って叩いていくのではなく、まずは現状の自分を受け入れ、その日、その時の最良の選択をしていけるようになることが、様々な病気を癒していくことに繋がるように思うのです。
アレクサンダーテクニーク
私が20代の頃、鍼灸と同じくらいお世話になっていたのが
アレクサンダーテクニークというボディワークです。
私たちは、普段、無意識に自分の体を緊張させていたり、縮こまらせていたり
そういった自分の「習慣性」によって、人間が本来持っている自由でしなやかな動きが取れずにいます。
アレクサンダーテクニークは、その無意識でやってしまっている自身の「習慣性」に気づき、「習慣性」という檻から出て、本来の自分の在り方を再学習していくというボディワークです。
例えばスポーツ選手が結果を残したい場合、自分の体の動きに変な癖があると、身体に余計な力が入るので最高のパフォーマンスが出せません。その癖に気づいて余計な緊張を取り除き、本来の持てるエネルギーを出し切れる状態になった時に、結果が残せるようになってきます。
私たちも、普段、体に意識を向けてないがゆえに、ついつい自分の癖で、動いてしまうところがあります。その癖、「習慣性」が現在の不自由さに繋がっていることも多々あるのです。
私が20代の頃に出会ったアレクサンダーテクニークの先生はとても素晴らしい人でした。
習慣性の檻の中で、不自由だった当時の私を否定することは一切ありませんでした。
教師だからと言って、正しいことを教えるという態度ではなく、
現状の私をただ受け入れ、本来の私を引き出す手助けをしてくださいました。
いかに不自由だったとしてもその人の現状を否定しない。
その上で、「習慣性」を取り除いた先に見える、本来のその人の動きに
一緒に耳を澄ましてみるというその先生の態度には、とても大きな影響を受けています。
その先生のように、正しいことを教え込むという態度ではなく、一緒に本来のその人らしい自由なからだを再構築していくという姿勢で鍼灸治療をしていきたいと思うのです。
同治と対治
今の私を形成しているものの考え方の一つに
「同治と対治」というのがあります。
私が中学生の頃に読んだ、五木寛之氏の自力と他力という本の中に、紹介されている仏教用語です。
例えば熱を出した時、氷水で冷やして熱を下げようとするのが対治。
体を温めて、熱を上げて、汗をかかせることで熱を下げようとするのが同治。
不安や悲しみで、動けない人に対して、そんなことじゃいけないよ。頑張って立ち上がろうよ!と立ち直らせようとするのが対治。
その人の気持ちに寄り添い、一緒に泣いてあげることで、心の負荷を少しでも引き受けようとするのが同治。
私たちは、悪しきものと戦うことばかり教えこまれてきたのではないでしょうか。
結果、自分の中や人の中に醜い部分ばかり発見するようになり、それを排除しようとすることばかりしているように思います。
そうした対治的な生き方よりも、
良いものも悪いと思えるようなものも、愛すべき自分の一部と自覚し、受け入れ受け止めるような同治的な生き方ができたらいいなぁと、思っています。
鍼灸治療においても、その人の悪い部分を取り除くのではなく、バラバラになって動きづらくなってしまったパーツを、再構築し、全体で一つのものとして感じれるようになるのをイメージして治療させていただいてます(*^_^*)
悪いところを見つけて、治していく、ということだけをしていくと全体性を感じられない体になってしまいます。
今の自分の状態を認め、組みなおし、本来の在り方に戻っていくということが、現代人には必要なんじゃないかなぁと思います🤗